川鶴翻訳テスト


STORY1
川鶴の酒を司る「米・水・技」

<米>
酒造りを極めるためには、米作りを知らなければいけません。

「酒造りは米作り。酒を造る者が米を作る苦労を知ったうえで酒造りに取り組む。」

6代目であり現蔵元の川人裕一郎が大切にしている言葉が示すように、川鶴酒造では25年以上前から蔵の隣にある田んぼを「自家実験田」として、全社員が田植えから草刈り、稲の収穫までに携わり、その米も用いてお酒を造っています。

お米の味わいを余さず詰め込んだような、旨みが心地よく広がるような味わいが川鶴のお酒の魅力です。

米作りにも携わることで米を知り、より良い酒造りを目指してまいります。

<水>
川鶴の名の由来は、蔵の裏に流れる清らかで豊富な水を湛える清流“財田川”に鶴が舞い降りたことから初代蔵元が命名しました。

財田川は香川県で最大の流域面積を持ち、アユの遡上も観察され、地元では別名“宝田川”とも呼ばれ、田に宝をもたらす水源とされています。

川鶴酒造ではその川の伏流水を仕込水として使用し、力強く爽やかな酒質を醸しだすことを目指しています。

<技>
米の特徴を最大限に活かす酒を造ることが私たちの原点です。

小仕込みの作業はすべて手で行い、目の行き届く、手の行き届く範囲で蔵の技術を最大限追求しています。 蔵人全員が「安心」「安全」「理解」「納得」するまで吟味して、酒造りに取り組んでいます。

その成果もあり、2018年のKURA MASTERでは金賞を、2022年の雄町サミットで優等賞、2023年にはロンドンで行なわれる世界最大規模のワイン品評会「インターナショナル・ワイン・チャレンジ」のSAKE部門で銀メダルを受賞するなど世界からも評価を得ています。


STORY2
香川県産米へのこだわり

川鶴酒造では、一部の銘柄を除いて、香川県産米を用いて酒を造ることにこだわっております。

地元讃岐産米「オオセト」・讃岐田野々地区の契約栽培米「山田錦」・生粋の讃岐酒米「さぬきよいまい」など、使用する原料米は自家栽培米をはじめ、地元香川県産のお米が大半を占めています。

また、25年以上前から続けている蔵の隣の田んぼ「自社実験田」での自家栽培米の取り組みは地元でも徐々に知られるようになり、地域の皆さん・地元の農業高校生・全国の愛飲家の皆さんが一緒に農作業に参加してくださるようにまでなりました。

地元県産米にこだわり、その米の個性を最大限に引き出す酒造りをすることで、香川県の豊かな自然の恵みと全国でも知られる様々な郷土料理との相性がより深まるのではないでしょうか。

盃を酌み交わし、楽しく語らい、ともに笑い、香川の地に思いを馳せる、川鶴はそんな酒でありたいと願っています。


STORY3

玉藻よし 讃岐の国は国柄か 見れども飽かぬ神柄か・・・

と万葉集で柿本人麻呂が歌っているように、讃岐は豊かな自然に恵まれた風光明媚なところであり、また、四国八十八ヶ所霊場を築いた弘法大師の生誕地であり、涅槃(ねはん:悟りを開くこと)の道場として知られ、日常的なお遍路さんへのお接待を通して、おだやかな気候風土と人柄を育んできました。

川鶴酒造は、その讃岐、観音寺の地で、1891年に酒造りを始めました。

[昔の蔵の画像]

当蔵の前身としては、創業者である川人清造が徳島県池田町で染物業を営んでおりましたが、染物業においてもきれいな水が求められるため、その水を得るために現在の香川県観音寺市に移り住んでまいりました。

初代、川人清造がこの美しい水を使って清酒の製造を始めたのが1891年ですが、ある日、蔵の隣に流れる財田川に鶴が飛来した夢を見たことから「川鶴」という名前を考案し、以後130年以上が過ぎた現在でも当蔵の主な銘柄として造り続けております。

[何か画像]

高度経済成長期の「酒は造れば造るだけ売れた時代」に、川鶴酒造は積極的に設備を拡大し、かつて全盛期には9600石にも上る出荷量を記録します。しかし日本酒全体の出荷量のピークを迎えた昭和40年代後半と時を同じくして、当蔵の出荷量も年々減少していくことになります。

2004年に6代目であり現蔵元の川人裕一郎が代表取締役に就任してから、普通酒を中心とした大きなタンクでの酒造りから、手作業と少量の仕込みによる「品質重視」の日本酒造りへと少しずつ移行し、徐々に全国の市場でも通用する日本酒へと認知され始めます。その後、県外での評判を知った地元香川のお客様にも再びご支持いただくことになります。

→ 最近の受賞歴などはこちら

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